初代、常八

明治35年頃常八の女房キンさんは、日本橋北島町(現日本橋茅場町)の
両国煎餅」という店を買い「都せんべい」と改め、娘のハルさんとせんべい屋を始める。
これがせんべい屋の始まりである。

明治37年娘のハルさんに島三郎を婿に迎え店名を「幸煎餅」と改める。

明治38年4月4日のこと、日頃からもっとよい名前は無いものかと考えていたキンさんは、
風呂に入りながら考えていた、
ときは春4月、娘の春さんが生まれたのも4月花月
「そうだ、桜の花盛りを真ん中にして、その下に母娘連れが、余念無くこの花に見とれている、
そしてその脇に「花見せんべい」としてはどうだろう。」
かくしてできあがった図案は、老いたる桜樹に百花爛漫をかき、中心に大きく「花見煎餅」とした

これが花見煎餅の名前の由来である。


明治39年に横浜に支店を設ける。

二代目、島三郎 

島三郎の品物に対する情熱はすさまじかった。
玄米から精米し、すぐに粉砕し、蒸して、手でのした生地をかたく焼き上げた。
煎餅に付けるタレも醤油をよく煮詰めて造る製法をあみだしたのも島三郎である。
しかもできあがった製品に対する目は非常に厳しかった。
1枚1枚、眺めながら少しでも気に入らないところがあれば、全て久助にした。
ある時、外出先から帰ると、職人の焼いてる煎餅を一見するなり、
島三郎は「こんな、せんべいを作ってどうするんだ」と
一括し、それを、足で踏みつぶしてしまった。

大正時代 本店を松が枝町より現在の伊勢佐木町にうつす。


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